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【プロフィール】

シングルマザーが起業で成功を目指す!

  • おあげちゃん(♀)
  • 1990年1月14日生まれ
  • 午年 / 山羊座 / B型
  • 今まで同居したぬこ様は11匹
  • バツ2で小学生の息子と二人暮らし
  • 岐阜県の山深くに在住

以下、生まれから現在までを赤裸々に書いていますので、あなたと共通点が一つでも見つかると嬉しいです♡

幼少期

父・母・兄・姉の元に末っ子として生まれました。
出生地は愛知県名古屋市で、大学卒業まで名古屋市で過ごすことになります。

会社経営をする父、その会社で経理として支える母という構図の共働きだったため、1歳の時には保育園へ入りました。
性格はのんびり屋でいたって温厚、日向でボ〜っとしているタイプだったとのこと。

末っ子なこともあり、みんなから存分に可愛がられましたし、幼少期から習い事を色々とさせてもらったりと、今思えばなかなか恵まれた環境だったと思います。

小学生時代

1〜4年生までは何事もなく平々凡々と過ごしてきたのですが、私の人生において決定的な出来事が5年生の時に起こります。
それは、

  1. いじめられていた幼馴染を庇ったらいじめの対象が私に変わった
  2. 慕っていた高校1年生の姉が失踪した

この二つの事件です。

一つ目はよく聞く話ですが、その辛い時期に慕っていた姉が家出。
兄は高校の部活等で忙しく、両親は仕事と姉の捜索で私に目もくれない日々。
学校にも家にも居場所がない気がして、私は必要とされない存在なんだと考えていました。
6年生になった頃には唯一仲良くしてくれていた友達から
「金魚の糞みたいについてこないで」
と言われて相当ショックを受けました。

この辺りから私の長い長い暗黒期が始まります(笑)

中学生時代

2つの小学校区が合わさった中学校で新しい仲間も増えるため、どうにか楽しい3年間を送りたいと思っていましたがうまくいかず。。。
唯一誰とでも分け隔てなく接してくれる『こんちゃん』と出会ったことが救いでした。
通学も、ランチも、部活も、帰宅も、全部こんちゃんと一緒でした。

一人でも飾らずに過ごせる友達ができてホッとしていたのも束の間、、、
中学2年生の時にまたもや事件が起きます。

名古屋市内の他校から私の通う中学へ、一人の女子生徒が転校してきました。
私が暮らしていた地区は名古屋市内でもいわゆる『いいところ』で、ギャルやヤンキーがいないだけでなく、小学受験・中学受験する子もかなり多い教育激戦区。
そんなところに髪を染めて、パンツが見えそうなスカート丈にルーズソックスを履いた子が転校してきたのです。
当時の私たちにはかなりの衝撃があり、同時に憧れを集めました。
その子(以下、Y子)はなぜか私と仲良くしてくれて、校外でも遊びに誘ってくれました。

ある日Y子の紹介で、Y子の前の学校の先輩(男性)を紹介されました。
その先輩に遊びに誘われ、Y子と3人で遊ぶ予定を立てたのです。
当日指定された駅まで行くとY子はおらず、なぜか初対面の先輩の家へ…
これ以上は文字に起こすのは憚れるので、ご想像にお任せします。

私自身の危機管理能力のなさも良くなかったと今では思います。
だけど箱入りで育った私には何が起きているのかわからず、されるがまま。
大切な何かを失った途方もない喪失感と、混乱したままの悲しみを抱えて家に帰りました。
両親には今も打ち明けることなく過ごしています。

その日からY子は私と会話をすることがなくなりました。
つまり私はY子に売られたのです。

高校生

小学生時代のいじめ、姉の失踪、両親に甘えられない環境、中学時代に売られた経験。
人間不信になるには十分すぎるくらいの材料が揃っていました。
そんなに勉強も得意ではなかったので高校受験は放棄。

  • 同じ中学から受験する人が誰もいない
  • 自宅から1時間以上かかる
  • 名前さえ書けば誰でも入れる

そんな高校に入学することにしました。
それこそ入学式から金髪で来る子がいるような、一般的には底辺と言われる学校でした。

でもこのヤンキーとギャルしかいない学校では陰湿ないじめや嫌がらせはなく、勉強はできないけど仲間を大事にする同級生に囲まれて、数人の心許せる友達もできました。
私はこの高校で、たくさんの人の温かみと本気でぶつかり合う熱い心に触れることができて、本当によかったと思っています。

大学生時代

商業高校でしたので同級生の6〜7割は就職組でした。
でも私は働きたくなかったし、大学にもいきたくなくて、ニュージーランドへの留学を検討していました。

あとはお金を振り込んで行くだけ!という時に、、、
なんと契約していた大手留学斡旋業者が倒産、新聞の一面にも載り、元々留学に乗り気ではなかった両親の勧めで大学へ進学。
なので全く思い入れもなければ、思い出もない大学生活で、趣味程度のバンド活動とアルバイトを繰り返すだけで4年間過ぎてしまいました。

そしてまだまだ働きたくない私は就活もせず、東京に行きたい一心でティーインストラクター養成学校への入学を決意。
大学卒業式の翌日には上京していました。
ティーインストラクターになりたかったわけではないですが、当時紅茶やチャイにハマりまくっていたので、東京に行く口実として使った感じです(笑)

22〜24歳(独身社会人)

くだんの養成学校に行きながら、昼間は紅茶専門店・夜間はガールズバーで働き、休みになると下北沢や代々木公園でダラダラ過ごす…
そんな1年間もあっという間に終わり、無事インストラクター資格を取得し帰郷。

名古屋に戻ってからは、ご縁で紅茶専門店のオープンを雇われ店長として任され、そのお店の常連さんと恋に落ち退社することになります。

24〜28歳(第一結婚期)

1人目の夫(以下、Sくん)とは大恋愛の末に結婚しました。
出会った時の第一印象で惹かれて、毎週水曜日の夕方にロードバイクで来るSくんを待ちながらの店番は心躍るものでした。
本当に本当に大好きでした。
私の人生でSくんほど心を奪われた人はいないし、彼ほど私の傷を癒してくれた人もいません。
そして24歳で結婚、25歳で一人目を流産、26歳で無事出産。

Sくんとの子どもを授かったことが嬉しかったけど、その幸せも長くは続かなかったです。
Sくんは大学生の時からギャンブル依存症だったらしく、私が流産したくらいからパチンコに通い始めてしまったそう。
いろんなプレッシャーやストレスがあったと今では理解できますが、出産してからもやめられず、挙げ句の果てには仕事もまともにしていませんでした。
大好きなSくんとの別れは辛かったですが、

  • 子どもにこういった父親像を植え込みたくない
  • 私もこのままでは限界だ

そう思い始め、28歳になる直前に離婚しました。
でも決して恨んではいないし、こんなにも人を想い想われる気持ち、子どもを産み育てるという経験を私に与えてくれたSくんには今でも感謝しています。

28〜30歳(第一起業期)

息子は2歳になる前に父親との触れ合いを失くしました。
これからは私が母として、父として、友として、この子が巣立つ時まで責任を持って育てるんだ。
シングルマザーを選択した自分に恥じない人生を送りたい。
でも…限られた時間でアルバイトやパートをして、せいぜい20万円のお金を稼いだとろで、この子の『やりたい』を叶えられるだろうか?
少しでも不自由なく、周りと同じ家庭のように経験させてあげられるだろうか?

窮地に立たされて初めて、これまでの人生で抱えてきた鬱憤が溢れ出てきました。

根拠のないイジメ、友に売られ裏切られ、家族に助けてと言えない、居場所がない、幸せを掴んだと思う刹那に崩れ落ちていく絶望的な経験。。。
この世に平等なんてない、不平等の上に絶妙なバランスで成り立っている。
見返したい、見返してやりたい!!!
私を笑ってきたヤツら、私を貶めてきたヤツらに羨ましがられる人生を送る。
私と同じ思いをこの子には絶対にさせない。
稼ぐしかない、お金を手にするしかない。。。

一度目に起業を決意した時は、負のエネルギーを全方位に発散させていたと思います。
振り返ってみるとまるでヴォルデモート卿(笑)
悔しさや憎しみといった燃料でエンジンが豪速回転していました。
そのお陰で

  • 1ヶ月目に5万円
  • 2ヶ月目に10万円
  • 3ヶ月目に20万円
  • 9ヶ月目には法人を設立
  • 初年度売り上げは2000万を達成

するほどの勢いで、寝る間も惜しんで勉強したことを即実践する日々。

でも1年を過ぎた頃にはどこかで気づいていたんです。
長くは続かない、長くは持たない。
疲れたし、お金があっても満たされない、なぜ?
これでいいのかな。
なんかダメな気がするけど、どうしたらいいの?

負のエネルギーで動きまくっても、正のエネルギーを生み出すことはできない。
そんな心の隙・闇を嗅ぎ付けるように集まる罠。
そして私は投資詐欺に遭い、1000万の借金を負いました。
さらに追い討ちをかけるようにコロナが日本上陸、私は双極性障害とPTSDを診断され2年の鬱期を経験することになります。

30〜32歳(第二結婚期)

同じく一人会社の経営をしていたKくんと、30歳の夏に入籍しました。
それまで約1年間プロポーズを断り続け、最後は根負けして結婚しました。
再婚はもともと考えていなかったし、双極性障害発症・PTSD発覚と立て続けにわかり、病気で不安定な私と一緒になるなんて負けゲーでしかないと思っていたので断り続けていました。
それでも一緒にいてくれたKくんには頭が上がりません。

鬱でベッドから起き上がれない、泣いてばかりいる私に、Kくんと息子はいつも
「そのままでいいよ、大好きだよ」
と伝えてくれていました。
その時はその愛が苦しくて、正直死んでしまいたいと思ったこともあります。
でもその言葉がなかったらきっと今の私はいないでしょう。

私は結局、Kくんとも別れを選びました。
子どもとの関係とか、色々と浮き彫りになったところもあり。。。
多分中学生から続く男性不審が根底にはあるんでしょうね。
私の療養が明けてきた頃に別居の提案をし、私は岐阜県の縁もゆかりもない片田舎に息子と二人で移住。
その数ヶ月後に離婚しました。

33歳の今(第二起業期)

移住後仕事を見つけ、障害年金をもらいつつ慎ましい生活がスタート。
負のエネルギーを燃料にして燃え尽き、病気になることで強制休暇となり、美しい空気と水のある山深くへ来たこの5年間の中で気づいたことがあります。
それは…私は本当は怖かったんだなと。
誰にも影響できない自分、誰も幸せにできない自分。
そんな自分自身で作り上げた幻影を恐れて、他の強い誰かになりたくて、結局は何者にもなれなかった。

何物になる必要もなかった。

この子が生まれ
ここにいてくれるだけで
眩しいほどの価値があるように、
私は私として
ここに存在しているだけで
価値ある存在なのだ。

この子に
人とは違う個性があるように、
私にしかできない
やるべきことが目の前にある。

私ってどの占いをしても『大器晩成タイプ』って出るんですよ(笑)

  • 小学生の時のいじめ、姉の失踪
  • 学校にも家にも居場所がない寂しさ
  • 中学生の時の裏切り
  • ずっと続く男性不審
  • 2度の離婚
  • 精神疾患・障害のある人生

なかなかハードモードな前半を送ってきたなと思います。
でも、だからこそ、今のニュートラルな私で再チャレンジしたいと思っているのです。

1000万借金があっても、何回離婚しても、辛い過去があっても、私は私。
こんな経験をしてきた私だからこそ、あなたの気持ちがわかるかもしれない。
私が存在している限り同じシングルマザーに希望を与えたい。
シングルマザーがもっと笑顔で、もっと豊かで、もっと生きやすい世界を作りたい。
お金の代わりに心を売るような働き方をしなくていいように、安心安全な道筋を示したい。
そんな想いで立ち上げたのがこのブログです。
シングルマザーのあなたにお役に立てるよう頑張るので、あなたも諦めないで。
一緒に明るい未来を掴みましょう^^♩

おあげちゃん

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