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インクルーシブ教育とは何か?発達グレーゾーン子育て中ママが徹底解説

この記事でわかること

  1. インクルーシブ教育とはなにか
  2. オルタナティブ教育との違い
  3. インクルーシブ教育のメリット・デメリット
  4. インクルーシブ教育の日本における課題
  5. インクルーシブ教育を取り入れているおすすめの学校

 

筆者|おあげちゃん

 

 

どうも、おあげちゃんです✨

 

本記事では

【解説】インクルーシブ教育とは何か?精神障害2級持ちママ目線の課題

として、多様な個性を持った子どもたちのための新しい教育環境について、自身も精神障害2級を抱えながら発達グレーゾーンの男児を育てるママが解説していきます!

 

フリースクール、オルタナティブ教育の次に注目され始めているインクルーシブ教育。

 

日本におけるその課題や問題点、メリット・デメリットをしっかり見極めて、大切な我が子をどういった教育環境に置くべきかを考えるきっかけになれば幸いです。

 

インクルーシブ教育とはなに?

教室

 

インクルーシブ教育システムとは、文部科学省によると『包括する教育制度』と仮訳されており、障害のある者とない者がともに学ぶ仕組みと記されています。

「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みであり、障害のある者が「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと、自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられること、個人に必要な「合理的配慮」が提供される等が必要とされている。

文部科学省より

 

これまでは普通学級と支援学級のように、健常者と障害者は分け隔てられた環境で教育を施されていていました。

 

しかし今回のインクルーシブ教育では、その境をなくして同一の環境下で学べるようにしようよ、という取り組みのようです。

 

健常者も障害者も公平性が保たれている場で、同じ機会を得ていけるように時代が変化していくことには大いに賛成です。

 

しかしそこに本物の『公平性』があれば…の話ですが。

 

また国際的視点でみると、国籍や人種、宗教、性差、経済状況、障害のあるなしにかかわらず、全ての子どもたちが対象となっています。

 

まずは最近富裕層の間でも注目されている、オルタナティブ教育との違いについて解説したいと思います。

 

オルタナティブ教育との違いは?

 

オルタナティブ教育との違いは、オルタナティブ教育が選択の問題であるのに対し、インクルーシブ教育は権利の問題であるところです。

 

オルタナティブ教育とは『代替教育』と言われ、その国で主流(伝統的)な教育課程とは違った学習方法のことをいいます。

 

日本では敗戦後の占領下、GHQによって教育改革が行われました。

 

戦後78年が経った今(2023年現在)、日本で主流とされている教育はGHQが日本占領中に作った教育のことを言います。

 

つまり日本におけるオルタナティブスクールとは、GHQが作った教育方針をもとに国が作成した教育課程とは違った学習内容を独自に取り入れている学校のことなのです。

 

通常の教育課程を取り入れないという点で例えば、フリースクールやホームスクーリングに加え、シュタイナー教育・モンテッソーリ教育・イエナプラン教育などの海外思想を取り入れた教育も含まれるということです。

 

主流な教育以外から自由選択できる環境全体を、オルタナティブ教育と言っても過言ではないということですね。

 

つまり、教育環境の選択肢を広げたものがオルタナティブ教育、どんな教育環境であっても国籍や人種、宗教、性差、経済状況、障害のあるなしにかかわらず人権が守られ、全ての子どもたちが同じ機会に触れられるシステムがインクルーシブ教育なのです。

 

インクルーシブ教育のメリット・デメリット

メリットデメリット

 

インクルーシブ教育は1994年、UNESCOの国際会議で「Education for All(万人のための教育)」が提唱されたことが始まりです。

 

日本では2010年に文部科学省から、正式にインクルーシブ教育理念の方向性が示され、本格的なシステム構築が開始されました。

 

その後2015年にはSDGsが採択され、『質の高い教育をみんなに』という指針がその中で示されたのを機に、国内でも徐々に認知が広まってきた経緯があります。

 

しかし、認知されつつあるその字面の良さだけをとって、現在の教育環境にとってつけたように反映しようとしても、そこにはたくさんの課題があるのです。

 

メリット

 

インクルーシブ教育を取り入れることにより、子どもたちが自分と他者との違いを自ら認め、尊重し合うといった心を育むと言われています。

 

「あなたと私の考え方は違って当然。みんな一緒じゃなくていい、そのままでOK!」という意識の多様性は、平成生まれ以降の若者にとってマジョリティになってきています。

 

しかし一方で、目に見えて体のどこかが悪い(欠損がある)とか、発達過程に明らかな違いがあるといった場合には、心のどこかで「可哀想」「助けてあげなきゃダメな人たち」という一種の優劣や特別視が、潜在的に湧いている場合が多いのではないでしょうか。

 

インクルーシブ教育を取り入れることによって、さまざまな違いの受け取り方を、『男と女』の違いくらいにまで身近なものとして考えられるようになる未来があるとすれば、メリットと呼ぶことができるでしょう。

 

また、授業がよりわかりやすくなる、障害やその他の違いに関しての理解が深まる、というメリットもあります。

 

デメリット(問題点や課題も含む)

 

  1. 特別扱いと勘違いする子がいてもおかしくない
    例えばディスグラフィア(書字障害)の子が同じ教室にいたとします。 

    その子は字が書けない以外の遅れなどはないため、板書を鉛筆でノートに書くのではなく、キーボードで打ち込むという対応をしています。 

    しかし他の子から、「自分もタイピングでノートを取りたい」と言われた時、果たしてどうするのでしょうか。 

    ディスグラフィアの子に「贔屓はできないから、努力してノートを書いて」と言うとか、他の子もみんなタイピングできるようにカリキュラムを変えるとか、どこかに負担を押し付けるような仕組みは手放す必要があります。 

    これまでは「どちらかに合わせる」「同一環境にする」という手段が取られてきましたが、そこを「個々に合わせてデザインする」という認識で行っていかなれば、必ず歪みが生まれるのです。 

    例えばこの問題は女性の社会進出に似ていて、性差に問わず同じように働ける社会を目指した結果、女性は女性性を排除して男性に近づこうとした背景があります。 

    性差をなくす=どちらかがもう一方と同じようになる、をした結果、女性は結婚や妊娠、出産の機会を失ったり、不必要なセクハラ・パワハラが横行した時代もありました。 

    今でも無くなったとは言えません。 

    本来の性差をなくすとは、男性や女性の生まれ持った身体や思考の違いをお互いに理解した上で、妊娠や出産があっても同じポジションに戻って仕事ができるとか、育児休暇を女性も男性も同条件で取れるとか、そういうことですよね。 

    違いを認め合うことと、違いを埋めることを同一視してしまうと、一方はそのまま変わらなくて、一方がもう一方に寄せていく社会から抜け出せないのです。 

    そうではなく、『違いを認める』→『個々にデザインする』が当たり前の認識になる必要があると思います。 

  2. 学校側や担任教員への負担が多くなる
    日本の公立学校では、普通学級 / 特別支援学級 / 特別支援学校という3つの環境が用意されています。
    そのため各所のデフォルト設定が違うのです。

    例えば普通学級をインクルーシブ環境に変えようと思っても、障害がある子用に建てられた校舎ではないため、車椅子で各階を移動できない、光量の調整ができないなどといった、そもそも「誰に向けて作られているか」という構造上の問題があります。

    それ以外にも、手話ができる職員がいないなどもあげられます。

    これまで全く違う土俵として考えられてきたものを、1つの場所に集約しようと思った時には、建造物から組織の在り方まで、その構造を根本的に改革しないと対応が難しいのです。

    その対応を国主導で行えるならまだ軽減されるかもしれませんが、国は方針を示すだけであとは現場に丸投げとなると、学校や教員への負担が増大し、結果的に行き渡ったインクルーシブ教育は不可能となるでしょう。

 

インクルーシブ教育を取り入れた新しい学校が開講予定

 

さやか星小学校

教育の「あたりまえ」を
変えていく。

子どもたちがのびのびと、自分の個性を伸ばしながら意欲的に学習し、
将来社会に出た時に役に立つ教育ができないか。
私たちはまず、学校の「あたりまえ」を疑うところからスタートしました。

たとえば、みんなが一律の授業を受け、一律の評価をされるというあたりまえ。
ひとりひとり得意も苦手も違うのだから、教師がその違いをしっかりと見つめ、
発見し、個人の速度に合わせた学びをきめ細やかにつくっていく。

たとえば、子ども同士の人間関係を、自主性に任せるというあたりまえ。
コミュニケーションの取り方がうまくできなく、
子どもによって差がでるのは当然のこと。
それは、学校が多様性の学びにコミットしてこなかったからです。
適切な行動を身に付け、人間関係の構築ができるように導きます。
それは、いじめを防止し多様性の理解を身に付けることにもつながっています。

これは、まだ序幕に過ぎません。

あらゆる「あたりまえ」を、もう一度見直し、
ひとつひとつ解決策を探っていく。
そして、インクルーシブ教育の常識すら変えていく。

さあ、新しい小学校のカタチが、今始まります。

長野県に
2024年4月開校予定
さやか星小学校

 

『インクルーシブ教育 小学校』というキーワードで探すと、トップに出てくるさやか星小学校。

 

障害児 × 健常児という狭義でのインクルーシブではなく、どんな個性がある子も、学習の進捗が違っても一緒に学べる学校を目指すという本来のインクルーシブを目指す学校です。

 

例えば農業にしても、食べる専門、育てる専門、絵描く専門でもいい。

 

それぞれの参加の仕方で参加をするのが大事であって、みんな同じように種まきから参加しないと特別視されるような場ではなく、あの子はあの子の形で参加しているが普通の状態を生み出すのだそう。

 

こういった学校が徐々にでも増えていけばいいですね。

 

まとめ

 

国際的には1994年から提唱されているインクルーシブ教育。

 

日本は他の先進国に比べ、教育や社会のしくみが遅れていると言われ続けています。

 

時代も変わり、人間も少しずつ進化をしてどんどん新人類が生まれているにもかかわらず、教育現場は戦後約80年変わらないどころか、個性を潰すような教育ばかりが目に余ります。

 

私自身、双極性障害2級を持っており、確かに多数の人と比べて違う言動や思考を持ち合わせているのかもしれません。

 

しかしそれを偏見として見るのか、障害への理解を深めた上で個性として受け取るのかは大きな違いがあります。

 

また私の子どもの多動があり、座っていられない、文字を読んだり字を書くのが極端に苦手、癇癪持ちという特徴があります。

 

今は公立小学校に通っており、担任の先生とは二人三脚で彼の個性を潰さないようにと工夫をしていますが、やはり先生の中には「こうしなければならない」が強い方もいるのです。

 

それは先生の個性ではなく、受けてきた教育によって凝り固まった思考であり、その押し付けこそが私からすると迷惑なのですが、そういった先生方からすると「座っていないと他のこの迷惑になる」と言ったりするのです。

 

本来のインクルーシブ教育をしようとした時には、さやか星小学校のように一から構築するか、既存の学校であれば先生たちへの教育を一からやり直すくらいの気合いが必要だと私は考えます。

 

『公平』という言葉には「主観を交えない」という意味もあるのです。

 

先生たち、大人たちが後天的に身につけてきた常識という名の主観を手放し、本当の意味で公平な環境が作られる、もしくは誰でも作り出せる社会を目指したいものです。

 

おわり

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